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   <title>シリコンバレー20世紀</title>
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   <updated>2007-09-14T03:40:27Z</updated>
   <subtitle>八木博が経験した20世紀末のシリコンバレーの記録</subtitle>
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   <title>【復刻】 123 過去を捨て去ることの必要性と難しさ　その 2 20001007</title>
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   <published>2007-09-14T03:40:20Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:40:27Z</updated>
   
   <summary>     20世紀の後半に発生したソ連の崩壊は、意外な結末だった気がする。共産主...</summary>
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      <![CDATA[<p>
    20世紀の後半に発生したソ連の崩壊は、意外な結末だった気がする。共産主義の唱える、資本主義の中での階級対立として捉えた（国際）社会が、固定化されすぎてしまったということである。すなわち時代の変化に伴って資本主義が形態を変えてゆくのに伴い、資本家なる実態が、単なる資本に基づいた支配階級という固定化したものでなくなってしまったところが、共産主義者の見誤りの一番のキーポイントだった気がする。要するに、共産主義の基本概念が（経済原理だけに基づいたために）空洞化してしまったということである。それに引き換え、共産主義自身といえば、人間の本質が変わったのではなく、古来からの人間の性（さが）である理論よりも利に敏い人々を輩出したし、人民のためといいつつ、官僚機構は歴然として、権力をもって君臨した。これが、経済原理とは別のところで着実に変化し、人類の大きな流れである自由・平等への動きに逆行し、人々から見放されたということである。しかしこれは対立が解消されたということではなく、共産主義が指摘していた構造は、すでに実体がないものに変化していたということである。すなわち、動いている社会は時々刻々変化をしているということである。これからの社会もこのように、新しい動きが出てきては、旧来のものと突き合わせることにより、相互に切磋琢磨しつつ、かつ淘汰が行われる社会になるに違いない。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    宗教界の大変化<br />
    ローマ法王ヨハネパウロ2世が今世紀に入り、ユダヤ教指導者との面会やイスラム教指導者と面会をしていて、いろいろ話をしていることが報道されている。私は、この目的を正確に把握しているわけではないけれど、イスラム指導者との話というのは、キリスト教（歴史的にはイスラム教）始まって以来のことであるというし、過去の十字軍のイスラム教徒迫害についての謝罪も行われたという。これは、キリスト教が開放系へと動き出したことを意味する。先ほどの共産主義が自分の教義（ドグマ）にとらわれるあまり、自己を滅ぼしたこととは対照的である。このことは、教団という主体の動きが「個」の集合体である認識と一致してきたことだと考える。私はこの動きを、高く評価したいと思うし、それだけキリスト教の持つ限界がはっきりしてきたということであると思う。（さらに入った情報では、ローマ法王はギリシャ正教とも、話し合いの場を持ち、ギリシャを訪問する予定であることが伝えられている）
</p>
<p>
    スポーツ界の変化<br />
    野茂が米国の大リーグで黙々と実績を重ねているうちに、日本から佐々木や、イチローや新庄など続々と米国大リーグに押しかけてきて、すばらしい活躍をしているのを見るとスポーツ界も、国という枠を超えてきていることを実感する。しかし、日本人選手の活躍をニュースで知ると、同じ日本人ががんばっているということに感動を覚える。国境を超えた活躍というのは「観念」で捉えることができるが、「同じ日本人」という意識は、心情の世界という感じで解析できないけれど、素直に喜べるのは事実である。これらの考えは、スポーツ選手の活躍の場に目を注がせる役割を持ち、大きくは国際化が避けられないものである。今後もスポーツは国あるいは所属を代表した形で行われるとは思うけれども、究極は「素晴らしいプレー」にポイントが移るのではないだろうか。すなわち、個々の選手のプレーこそ、人々が感動する中心になってゆくだろう。
</p>
<p>
    このような時代の流れを考えながらものを見てゆくと、自分の身の回りのことがすべて時代の変化の反映であることがわかる。そして、その中でも重要なものが、情報であり、開放データの必要性であることが言えるであろう。すべては、個の判断から大きな動きへとつながってゆくことを、誰も止められないことを歴史が証明していると思うからである。<br />
</p>]]>
   </content>
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   <title>【復刻】 122 過去を捨て去ることの必要性と難しさ  その 1 20000930</title>
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   <published>2007-09-14T03:38:36Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:38:42Z</updated>
   
   <summary>     日本の政治や、経済の中での考え方が現在大きく変わろうとして来ている。こ...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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      <![CDATA[<p>
    日本の政治や、経済の中での考え方が現在大きく変わろうとして来ている。これは小泉首相という、戦後には類まれな「国民に負担を強いることを知らせることが、自分の職務」と考えている人の存在が大きい。そして、過去のいくつかの既得権にも大きく改革の手が入ろうとしている。中味を良く見ると、過去のロジックが破綻していることが目に付く。例えばであるが、石油公団のあり方に対しては、批判は数多くあったものの現実的な施策にというところまでは来ていなかった。また道路特別会計を廃止するということなどは、大英断といっていいだろう。自民党の中からそのような動きが出てきたことが、時代の変革への動きということにつながることを示している。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    なぜ、これほどまでに過激な形にならないと変化というのは起こらないのであろうか。これは、介在する人々の意識の保守性と、周囲に群がる利権のからくりによるものが大きいと私は考える。意識の保守性は当事者として「現在の職を捨てられるか」ということであるし、周囲の利権としては「これだけ確保したものを、みすみす失いたくない」という、いずれもが利を中心として考える仕組みで動いていることがわかる。平成9年当時の通産大臣だった、堀内光雄氏は石油公団のロジックのでたらめさと、内部腐敗を雑誌文芸春秋に投稿した。（平成10年5月号だと記憶する）その中で、公団の持つロジックを見て私は、本当に驚いた。石油公団は「採掘に失敗したら、補助金は返還させない」のである。これは、目的論からすれば「石油が出ないことを求めている公団」と同義語である。これがいかにして公団になったのか、日本の政治と経済の怠慢さが見事に現れている。
</p>
<p>
    しかし、時がたち遂に見直しの対象となってきた現在、今までの状況と変わることでいくつかの面白い現象が出てくると思う。ひとつは、自民党以外の保守化である。これは、民主党が一番影響が大きいだろう。理由は「過去を失うかもしれない」からである。民主党のメンバーは、今まで自民党が「改革をしてこなかった」から、改革と言うことが出来た。しかし、本当に改革がはじまると、支持母体から改革反対の声が上がってくる。これを受けて行くとすると、改革反対という声になるのである。別に民主党のことをあげつらうつもりで言うのではないが、「憲法改正」という字句で一番影響を大きく受けるのは、この間までの革新系政党である。かように、ひとたび体制というのが出来上がってしまうとその慣性力はものすごく大きいのである。その影響から逃れるための方法は、そう多くない。<br />
    一般的にやられるのは、時限政策にして常に見直しを入れるか、人が変わるたびに考え方を変えて行くことである。そして、すべてのものは変化するということを理解することが、国民の常識にならないといけない。平安から鎌倉への移り変わる時代の鴨長明はすべてのものが移り変わると自覚していたし、また江戸時代には芭蕉が「不易流行」を唱え、「すべてのものは変わる」という事実だけが「変わらない」ということのみが理解できる知的レベルを備えていた。ところが、昨今の世界経済の動きの中で、日本だけが突出して変化に対する対応を拒否し続けてきた。政治、経済、学問の世界がそれらの典型であった。
</p>
<p>
    しかし、個人レベルの才能が発揮される分野ではだいぶ違っていた。音楽の世界では国内だけでの成長ではすでに限界があり、国際的に活躍する音楽家は次々と出てきている。それと同じことが、スポーツの世界でも起こっている。サッカー、そして野球など日本人の活躍が、世界の舞台で起こっている。これは個人という、主体性を発揮できる環境では能力のある人にとっては、国際的な活動が可能であることを示しているし、日本人のレベルも世界に伍しているといえる。大変うれしいことである。
</p>
<p>
    このことから、すぐに思い出されるのは、日本人の集団行動による国際化であった。農協が世界ツアーに出かけ、集団活動が製造技術の世界標準になった。こんなことはつい20年もたたない前のことである。集団性の強さを見せ付けられた世界各国は、その後日本から学び、今ではTQCはサプライチェーンマネジメントとして、よりダイナミックな見方で世界中の産業界に取り込まれている。また、お客様は神様ですという言葉は、カスタマーリレーションシップマネジメントへと形を変えながら進んでいる。その背後には、日本ではまだ十分機能していないITというツールを使いこなしながら進む仕組みも出来上がってきている。<br />
    現在の日本は、多くの点で行き詰まり状況であるのは事実であるが、過去の人々のメンタリティーを考えると、過去を統合的に総括しながらITの次にくる情報システム革命の伴った技術開発のところで、再びチャンスをつかむようにすれば、世界で活躍できる場もまだあるだろう。そのためには、ひとまず過去を捨て去る勇気と、知恵を持たなければならない。そのために、どのようなものの考え方をするのかを、このシリコンバレー情報で「丁寧に」扱って行きたいと考える。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
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   <title>【復刻】 121 20世紀から21世紀へ 20000924</title>
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   <published>2007-09-14T03:36:24Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:36:29Z</updated>
   
   <summary>     20世紀がどんな時代であったのかと言うことを、大分前から考えてきたけれ...</summary>
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      <name>アトム</name>
      
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      <![CDATA[<p>
    20世紀がどんな時代であったのかと言うことを、大分前から考えてきたけれど、ひとつ大きな特色は、物質と言うものをかなりのところまで、コントロールしてきたことが言えると思う。象徴的な出来事のひとつは、コンコルドの終焉である。人類が空を飛ぶことを可能にしたのが今世紀の初めであったが、スピードの向上はほどほどのところ、音速以下であったという結論になるであろう。経済性と言うのは、物質と交換する関係を指すわけだから、その意味でも、物による限界を極めたことになる。もうひとつの、物質の出来事で今世紀に起こってしまったのは、ヒトゲノムの解析終了宣言である。私は、このことは21世紀のことと思っているうちに、今世紀の出来事となってしまった。これも、生体を物質として捉えると言う点で、物質的なアプローチの成功事例と言えるだろう。このことから、私は20世紀が物というものを、とことん突き詰めてきた時代だと思う理由である。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    次の時代に引き継がれるもの<br />
    しかし、20世紀にはその前半に量子力学が発見され、世界は確率で作られているということが判ってしまった。もちろん、日常的には通常のことが、予想通り起こるのが普通であるが、そうでないことも起こって不思議ではない。あの、エサキダイオードはその原理を利用して作られた。しかし、物質を構成する粒子は、まだ根源的なものにはたどり着いていない。そして、DNA解析以前のバイオ研究が、細胞から先の細分化された研究をしたものの、それが不充分だったために、生命挙動を説明する方向から遠ざかってしまった。これらの、時代の流れの中に現在があるということが、とても興味深い。今日現在、20世紀から21世紀に引き継がれるものを考えるのはとても興味深い。私は、インターネットは次の時代への橋渡しだと思っている。このことは、21世紀には、国境や政治や宗教を隔てなく考えることが必須となることを意味する。その理由は、ひとたび人間がネットワークを使い出すと、それはひたすら広がりつづけて行くからである。国境を超え、政治や宗教の相違を超え、人間同士のつながりが発生するわけである。その時の人間は、お互いの共通点から接触が始まる。ここでは、世界の優れた考え方が、共通認識となる。この意味で、インターネットと言うツールが地球上にできたことは、21世紀の社会を予見する上で非常に重要である。もうひとつの、ゲノムはどうであろうか？これは、完全解があと数年かかると言われているけれど、私には、いくつかの奇妙な点が気になる。まず、遺伝子の中で有効な情報を出す部分は、全体の5％であると言うこと。生命の働きの合理性を見てきたものにとっては、この数字は余りに低い。しかも、同じように、大脳の働きについても、人間に一生に使いこなせる部分は５％であると言う。私にはこれは偶然とは思えない。また、複雑系という考え方や、開放系における自己組織化など、世界の構造を変化させる要因などが証明されてきている。インターネットも開放系であるし、21世紀には旧来の閉鎖系には見られない現象が起こることになるだろう。
</p>
<p>
    あれこれ考えると、20世紀に問題提起されて、結論のついたものは無いことがわかる。これは21世紀が、われわれに、世界観を含めて新しい世界を考えることを要求していることではないかと考えている。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 120 Topというもの 20000916</title>
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   <published>2007-09-14T03:35:02Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:35:09Z</updated>
   
   <summary>     シドニーオリンピックが始まった。このWeeklyも実は、1996年のア...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    シドニーオリンピックが始まった。このWeeklyも実は、1996年のアトランタオリンピックが終了してから、最初はCharlotte Weeklyという、米国文化、習慣の紹介レポートのようなものから始まったわけだから、かれこれ4年経ったというわけである。当時のレポートもいつか紹介できる機会があると思うが、時は着実に経っているのを感じる。オリンピックは世界各国から、Topのプレーヤー達が集い、世界一を争うわけであるから、文字通り実力のＴｏｐ争いが、目的であり、そこでの勝者はＴｏｐ中のＴｏｐとなる。これを、ついつい事業のＴｏｐや他のスポーツのＴｏｐと比較したくなる。ここでは、閉鎖系社会のＴｏｐとオープン系の社会との比較で考えてみたい。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    閉鎖系社会のスポーツの典型は相撲<br />
    閉鎖系のスポーツと言うのは、その中での試合で順位や、記録などすべてが格付けされてしまうものを言う。閉鎖系社会のスポーツの典型は相撲である。これは、まず相撲協会に入らないと、参加資格を与えられない。そして、試合の審判役も協会公認で無いと務めることができない。協会自身が利益をあげて、それを所属する人たちに分配するという仕組みを持っている。すなわち、外部に対して、ひとつの収益企業団体として動いている。そこのトップは、選手であれば横綱であり、協会は理事長となる。企業の観点で見ると、理事長（社長）の元にいるスペシャリスト（力士）が力と技とを競い合う仕組みであり、横綱はスペシャリストの頂点であり、その世界はあくまでも相撲と言う種目であり、グローバルではなくローカルなスポーツでのＴｏｐになる。
</p>
<p>
    閉鎖系社会の象牙の塔<br />
    これに意外と近いのが、象牙の塔と呼ばれる、学問の世界である。日本の大学のレベル低下が問題視されて久しいが、この原因は、旧来のやり方を踏襲するだけで教育しているところにあると言われている。特に情報や人的な交流のあまり無い分野でのレベル低下が激しいという。これも、Ｔｏｐの権力が閉鎖系社会を支配する構図になっているから、Ｔｏｐの力量以上のことはやれなくなってしまう。そうすると、閉鎖系社会の宿命として、成長が止まるということになって行く。これを、防ぐには、学問の世界のＴｏｐと学校経営のＴｏｐを分けることと、学問が社会と個人の活力の原点であることを認識することが重要である。国立大学でも、経営（運営）は事業経営の経験のある人に任せるのがうまいやり方だと私は信じているが。これに関して、ヒトゲノムの解析では、民間が世界の研究者連合を追い越してしまった。学問の分野でも時代は、着実に開放系に向かっている。
</p>
<p>
    開放系社会の典型は米国西海岸<br />
    Ｏｐｅｎという思想が根付いたのは、米国西海岸からであったが、この思想は20世紀の文化を大きく変えた。カジュアルな服装で仕事をするということもそうであるが、Ｏｐｅｎな仕組みを作ったことのほうが、時代に与える影響が大きい。すなわち、枠にとらわれない仕組み、そしてその仕組みを事業に生かすアイデアの集積地となったことである。これは、個人が自分の目標を達成しようとする時の理想的な行動パターンに近くなっている。その理由は、目標の達成段階に従った、その時に必要なスキルを持った人を、仲間に入れることができるからである。これは、目標を共有することで可能となる仕組みである。今回のオリンピックの種目も、プロ選手を入れてベストチームが作られているものも多くなってきた。プロとアマの金銭の稼ぎ方は異なるとしても、見る側からすれば、世界のＴｏｐを確認できるわけだから、楽しくなるわけである。事業でのＴｏｐはどういう人かというと、自分のアイデアを、早く、より良く実現した人ということになるであろう。
</p>
<p>
    このように見てくると、事業の世界だけ出なく、スポーツや学問の世界も、閉鎖系から開放系へと流れてきていることがわかる。21世紀と言う時代は、文字通りＯｐｅｎな環境の中で、アイデアやさまざまな活動が、より高いレベルを目指して動いて行くことになるだろう。その時に、われわれは、閉じた系の価値ではなく、より高い価値が創造する上で重要であることに気がつくことになると思う。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 119 変化の時代と勉強について 20000905</title>
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   <published>2007-09-14T03:33:34Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:33:39Z</updated>
   
   <summary>     変化の時代に生きる生き方には、いくつか方法がある。ひとつは、昔のままを...</summary>
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      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    変化の時代に生きる生き方には、いくつか方法がある。ひとつは、昔のままを続けるという、マイペース型である。もうひとつは、回りの動きを見ながら、自分も進むというという、他人追従型である。<br />
    そして、3つめが、自分からその時代の動きに、積極的に参加して行くという方法である。これらが、今後起こるであろう動きに対して、どのような意味を持つのか、考察してみたい。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    変化については、量的に変化するような、例えば、所得が徐々に上昇するとか、体力がだんだんついてくる（あるいは衰えてくる）ようなものについては、従来の延長で考えても十分対応できる。これは、マイペース型で、対応可能である。また、他人を見ながら動くと言う事は、社会的な存在として、自分を位置付けているというこであり、社会とのかかわりの中の自分で、自分の行動を決めるという、社会的人間の一つの選択である。社会が、量的に変化しているときは、これで十分であるが、質的に変化するときには、対応する内容の理解が伴わない（むしろ変化に逆行する）行動になりやすい。そして、社会が質的に変化するとき、20世紀の末はまさしく、その時代になっているが、先に述べた2つの型は、変化に対応してないことになる。なぜなら、変化の要因を考慮していないか、外部の動きに合わせているだけだからである。それでは、三番目の、積極的に変化に参加してゆくと言うのは、どうであろうか。これは、変化を直接肌身で感じて、自分で思考錯誤して進むやりかただと思う。そこで、行われたことは、すべて自分の意思の結果であるし、その結果はもちろん自分の責任である。そこまで考えると、自分が挑戦したことが、すべて自分に降りかかってくることになる。これは、言葉としては厳しく聞こえるが、実際は、試みたことがすべて、自分のものになるということと、同じ意味である。これは、英会話をするときに、失敗を恐れたり、時間や手間を惜しんだりした結果が、自分の獲得したものの大きさ（ここでは小ささというべきであるが）になるのと全く同じである。
</p>
<p>
    高齢化社会のキーワードは勉強<br />
    日本の社会の高齢化はどんどん進んでおり、２１世紀のかなり早い時期には世界でトップの高齢化社会となる。今まで、60歳定年と言われた人達が、その後20年近く生活をすることになるわけである。このときに、社会は質的な変化を遂げているのである。ここでは、その変化への対応を、勉強と言う観点で論じてみたい。比較は、大学での勉強である。
</p>
<p>
    勉強時間からの比較<br />
    ここで、大学を参考に、人生20年間でどれほど、勉強できるか考えてみたい。一日一時間、20年間勉強をしたとする。これは、決して無理な時間ではなく、やり方によっては通勤の電車の中でも可能なことだと思えるが。その時間は、総計7300時間である。これに対して、大学4年間、年間220日をそれぞれ8時間ずつ勉強したとすると、これで7040時間である。この比較でお分かりのように、例え一時間でも続けることによって、大学での勉強時間を超えることも可能になる。もちろん社会に出た場合には、勉強する的を絞り込むことは可能であるから、その事柄については3-4年あれば、それなりの専門家になれることは間違い無い。
</p>
<p>
    いつまでも、勉強する心を持つということ。<br />
    勉強という言葉は、あまりいいイメージが無い。押し付けられるとか、減点されるとか、ずいぶんイメージが悪い。しかし、江戸時代の末期、吉田松陰の生き方には、勉強こそ人生、というのが非常にはっきり見えている。下田で捕らわれ、安政の大獄で刑死するまでの間、野山獄の中でも、座敷牢の中でも勉強を続けるのである。そして、孔子の「夕べに道を知れば、明日に死ぬるも可なり」をひたすら実践するのである。これは、あまりにできすぎた人のことだと、思われる方もあるであろうが、私は松陰の至誠がそれを為さしめたのであり、日本人の天地人の一体感は、日々の勉強の中にこそ、その卓越した本質があると思う。複雑系の研究のメッカであるサンタフェ研究所の財政支援はシティーコープのジョンリードが中心になって行ってきた。彼自身が、複雑系を学びながらである。日本の経営者と、米国の経営者の忙しさの質の差は、結局は勉強の質の差である。これから迎える21世紀と言う質の違う新しい社会には、他人はともかく、自分としては勉強をして対応しようではないか。そう、私の母が言っていた。勉強は言われてするものではなく、自分でするものなのよ、と。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 118 20世紀という時代 20000626</title>
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   <published>2007-09-14T03:31:29Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:31:35Z</updated>
   
   <summary>     20世紀という時代も、いよいよ終わりが近づいてきた。この時代を振り返っ...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    20世紀という時代も、いよいよ終わりが近づいてきた。この時代を振り返ってみると、大きな時代の転換が現れているように思う。特に顕著なのは、最後の10年間が、時代を締めくくる動きをしていることだと思う。週刊シリコンバレーという、メールマガジンの100号記念でもある本号で、まとめてみたい。（週刊シリコンバレーという名前をはじめて聞く方には唐突ではありますが、「まぐまぐ」というメールマガジンでこのWeeklyを配布している時の名称です）
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    物質を扱いきった時代<br />
    20世紀を振り返ってみると、物質を使いこなすことができた時代であるといえる。たとえば、プラスティックや人工繊維（テトロンやナイロン）など、そして自動車や航空機が実用化され、完成の域まできたこと、電気の利用が行き渡ったことなど、是非の議論は別にすれば、この時代の実績として考えられる。これらの技術の基盤はすべて、近代化学によって理論を構築されたものであった。大きな意味では、ニュートン力学に基づく技術である。
</p>
<p>
    残された問題<br />
    また量子力学の発見により、物質の究極が不連続であることが解明され、さらにアインシュタインにより、物質とエネルギーが等価であることが証明され、核エネルギーを使う時代になったことは、次の時代への１つのステップとして位置付けられる。量子力学は発見されてから70年以上経っている。この中味は、極微小粒子に対する確率的な解析方法であるが、この部分については、世界観（あるいは哲学観）はまだ確立していない。それほどまでに、現在の哲学は、技術を追いきれていないといえる。その手前の、核エネルギーについては、世界的に見て、もはや原子力発電所の新設が許されない状況になっており、次の展開が見えない状況となった。
</p>
<p>
    カオス理論の登場<br />
    それに輪をかけるかのように、カオス理論が70年代に登場した。これは、ニュートン力学の根底である、原因と結果の相関性を崩すものである。しかし人間も大したもので、原因と結果が良くわからなくても、大型コンピューターを利用して、確率的に原因から結果を予想するようになった。この代表例が天気予報である。（あくまでも、現象の結果を推定しているのであって、結果から原因は突き止めていないことに変わりはない）このような時代に、コンピューターという道具が出てきたのは偶然と呼ぶには、少しできすぎていると思う。余談ではあるが、映画化されたジュラッシクパークをマイケルクライトンの本で読むと、話の中心は、DNAによる恐竜の復活というよりは、カオスの世界のはみ出しとして恐竜を扱っていることが分かる。
</p>
<p>
    自己組織化という論理<br />
    自己組織化という理論が出されたのは、カオス理論が方向性を失っているときであった。カオス状態が、新しい秩序を持つということを、証明したものであり、ブリゴージンはこれにより、ノーベル賞を受賞した。これは、今世紀の大きな収穫だと思う。なぜなら、混乱の先には新しい秩序が生まれることが証明されたのだから。このような科学の発見は新しい哲学を生み出すことになる。すべての先駆的な科学的発展はこれを裏付けている。（因果の法則も、ニュートンの発見から由来している。これが、人間を月に送り込ませることに成功した手法である）
</p>
<p>
    そして、ヒトゲノム<br />
    そして、今年の6月に民間のベンチャーであるセレーラのベンターと、国際研究機関のコリンズがクリントン大統領を挟んでヒトゲノムの全体解析ができたと報告した。当初の解析予定を5年早めた結果となった。これだけの成果を出すのにコンピューターの果たした役割は大きいし、それを支えてきたネットワークの成果もすばらしいことである。こうやって見てくると、20世紀という時代は物質の利用、解析を果たした時代だといえる。そして残っている問題は、それらをどのように統合するかということになる。その意味から、インターネットの存在と自己組織化との関連、そして統合化の哲学という新しい目標が21世紀の中心課題になってきていることが分かる。この解明に東洋の思想が役立つことを感じる方は私だけではないだろう。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 117 スポーツとビジネス　その4 20000619</title>
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   <published>2007-09-14T03:29:56Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:30:06Z</updated>
   
   <summary>     状況の変化に対して、各種チームプレースポーツがどのように対応するかを比...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    状況の変化に対して、各種チームプレースポーツがどのように対応するかを比較してみると、監督采配型と、監督以外の現場指揮者采配型と、個人に任せると言う3つに分けられるように思う。1番目の監督采配型は、野球のみが持つ特質のような気がする。チームのためと言う理由で、監督から指示が出れば、強打者がバントをさせられることもあるし、投手が強打者を敬遠することもある。<br />
    監督の独裁的裁量ですべて決まるスポーツである。すべての選手の顔はは監督に向いている。<br />
    現場指揮者采配型のスポーツは、アメリカンフットボールが一番明解であると思う。バレーボールも一部アタックの時にフォーメーションをかけるのは、現場指揮者采配型である。その他はというと、選手一人一人が、自分で判断するというケースになる。これは、とても面白いことだと思う。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    監督の人気で持つ野球<br />
    野球は、監督の責任で試合が決まるから、監督によってチームの人気が変わることすら起こる。これはスポーツの競技としてはすごく不思議なことである。なぜなら、スポーツの醍醐味は、選手のプレーの競い合いのはずなのに、それを監督する人による楽しみになってしまうからである。本来は、選手の打率や、勝率、守備の巧拙が観衆の対象であるところに、監督の采配というプレーでは見られない要素が入り込むことになるからである。ここでの観衆の楽しみ方は、選手のプレーのみならず、監督の采配も含まれる。
</p>
<p>
    現場指揮者はフォーメーション攻撃に必要<br />
    現場指揮者が必要なスポーツは、攻撃時にフォーメーションを作るものになる。このフォーメーションは、現場の状況に合わせる必要があるため、臨機応変に指示が出される。そして、各状況ごとの積み上げが観客を沸かせるプレーとなる。特に、終了間際など限られた時間で攻撃をする時には、現場の指示は重要になる。
</p>
<p>
    個人に任せるスポーツは、チームプレーが大切<br />
    上に挙げた以外の、サッカー、ラグビー、バスケットボールなどの個人に任されたスポーツもフォーメーションや、臨機応変の対処が必要なのは言うまでも無い。しかし、試合の現場ではそれは誰からも指示されず、選手は文字通り、自分で考えてプレーをする。フォーメーションや、パスプレーなどは、日ごろの練習で覚えこんでいる必要がある。これが、チームプレーと言うことになる。この関係を体得し、試合で実践することが選手に要求される。個人個人の技術レベルが高いことと、チームプレーでの役割を体得することが重要であり、大きく選手の能力に依存する。監督は、選手がそれを体得することに対して、適切な示唆をすると言うのが重要な役割のような気がする。このことは、監督は、選手の能力を引き出すことに長けていなければならないということでもある。
</p>
<p>
    チームプレーの本質は、個人プレー<br />
    ここでの例を比べて気がつくことは、指示をするスポーツはチームプレーの要素が少なく、個人に任せるスポーツに、チームプレーが重要になると言うことである。野球は、監督の指示で動くのだから、チームプレーと言うよりは、指示命令でのプレー中心である。それに対して、個人に任されたスポーツこそ、チームプレーが発揮されないと、勝負にならないのである。
</p>
<p>
    再び、ビジネスとの比較<br />
    このように、個人裁量の大きいスポーツこそ、チームプレーが非常に重要であることがはっきりした。以前は、指示命令系統をチーム（プレー）で行うということが、常識であった。しかし、このスポーツの例で見られるように、個人の力量を最大限生かすのがチームプレーの本質であることがわかる。米国型経営の多くが、個人の活性化を目指し、それを明確に要求している。日本型経営は今でも、枠組みの中での個人（技）しか認めていないように見える。これは、個人の能力だけでなく、チームの活力と言う点でも、大きな開きを生んでいるように見える。日本人はチームプレーが得意とされてきていたが、よく見ると、トップの指示があるところでの枠組みの中だけの話であって、本質的なチームワークは、個人に任せつつ、組織を攻撃的にしてゆくというところへと、すでに変化してしまっている。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 116 スポーツとビジネス　その3 20000729</title>
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   <published>2007-09-14T03:28:16Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:28:22Z</updated>
   
   <summary>     スポーツとビジネスの関連を、組織運営として、内部から考えることとする。...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    スポーツとビジネスの関連を、組織運営として、内部から考えることとする。プロのチームであれば、オーナーが経営者（CEO）となるし、監督はCOOに相当するポジションであろう。COOの元には、選手が直結している場合が多いが、場合によると途中に、主将と言う人がいることもある。（野球、バレーボールなど）アメリカンフットボールはやや違っていて、攻撃の時だけクオーターバックという選手が出てきて、ゲームは彼の指揮の元で進められる。守りの時にはそのような人はいなくて、現場の選手に一任される。ここで考察を加えるのは、監督指示がすべての野球と、現場判断が中心のサッカー、ラグビー、バスケットボール、そして特別に造られたアメリカンフットボールに分けることとする。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    監督COOの役割<br />
    現場の指揮を任されているのが、監督である。野球は文字通り、監督が選手の一挙一投足まで指示する。それゆえ、選手にとって野行動は監督の指示が再優先になる。すなわち、試合に勝つためには強打の選手との対決を避けて、敬遠をするという事態が発生しても、だれも文句を言えない。数年前の高校野球でこれが問題になったが、勝つためになんでもするという監督のロジックを打ち破ることはできなかった。これは、スポーツを楽しむ観客（勝敗を気にする観客とは異なると考えて）からすると「面白くない」ことではある。その意味では、野球と言うのはひいきチームの勝敗にこだわっている面が大きいかもしれない。巨人ファンとアンチ巨人ファンと言う不思議なグループ分けも、この勝負と言う一点で結びついている。選手のプレーは打者であればホームランの本数や打率、投手であれば勝率やセーブ数などで評価される。<br />
    <br />
    次にサッカー、ラグビー、バスケットボールを考えてみる。なぜか監督はスーツ姿で試合に臨んでいることが多い。これは、野球の監督がユニフォーム姿で指揮を取るのと異なって面白いことである。監督は試合中には選手に指示を出したりしない。フォーメーションなどの大きな枠組みを決めたら、それ以降の細かな指示は出さない。これはスポーツの性質上、それができないこともあるし、日常の訓練が、「自分で判断し、行動すること」を中心に行われることで、それが可能となる。選手はひたすら、自分の技術とチームワークの向上に注力するわけである。このスポーツは一人ではできないし、いかに味方のボールをゴールへ入れるかということで団結することが必要である。このことこそ、ゴールさせるという目的を明確に選手が理解し、監督の指示が無くても自分で判断して目的を達成するという、知的な意思も要求されるものである。<br />
    <br />
    アメリカンフットボールは、日本ではなじみが薄いけれど、米国で一番人気のあるスポーツと言える。このスポーツは作られたスポーツで、明らかに戦争のシミュレーションになっている。攻撃の武器は無いけれど、防御のためのプロテクターをつけて、選手はまるでロボットのような格好をして試合をする。それも、相撲取りくらい大きい人たちがぶつかり合うので、迫力がある。ここでの監督は、スーツは着ていないが、なぜか頭にはワイヤレスレシーバーをつけ、スタンドにいる試合展開の情報収集者と話をして、攻撃方法や守り方などを考え、クオーターバックの選手に指示を出す。一説によると、クオーターバックともワイヤレスで通じていて、直接のやり取りができるとも言う。状況が変わると、攻撃や守備のパターンを変えて、試合が進む。そして、現場にはクオーターバックと言う実務担当者がいて、攻撃展開を現場の実情に合わせて組み立てて行く。他の選手はゴールに入るために必要なそれぞれの役割を担うことになる。その意味では、クオーターバックの選手は知的でなければならないし、しかもプレーもできなければならない。大変なだけに、花形ポジションになっている。このスポーツの独自性は、監督が攻撃パターンを含めて現場に臨機応変に指示を与えるところにある。そして、監督は時に怒ったりしながら、選手を戦いへと向けて行く
</p>
<p>
    監督の役割って<br />
    大きく3つに分けたけれど、監督の役割は指示命令の役割に尽きる。しかし試合の前の練習などでのチームに対する方針の徹底や、試合に関する取り組み方など、強いチームにするための努力は重要である。監督によって、個々の選手の能力の引き出し方も違えば、試合の成績も劇的に変化する。そこに監督の持つ、才覚が表れる。サッカー日本チームのトルシェ監督は自分なりの指導理論を持っているし、米国プロバスケットボールのフィル・ジャクソン監督は、シカゴブルズの監督からLAレーカーズに移り、今年優勝に導いた。ここで見ると、スポーツも選手と監督の役割が明確にわかれていて、これは選手のたたき上げが監督という構図とは異なる。この部分は、ビジネスについても、参考になるところである。すなわち、事業運営のプロというのが、組織を引っ張ると言う構図である。現場をどのように把握しているかということも重要であるし、組織がどのようにあるべきかということも重要である。監督と言うポジションは、その両者を具体化するということで、知的に勉強が必要なところである。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 115 スポーツとビジネス　その2 20000722</title>
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   <published>2007-09-14T03:26:32Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:26:38Z</updated>
   
   <summary>     スポーツとビジネスという視点でものを考えてみると、個人プレーとチームプ...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    スポーツとビジネスという視点でものを考えてみると、個人プレーとチームプレーを分けて考えなければならないことがわかる。個人プレーの種目は、個人経営のビジネス組織であり、これは顧客と株主と、経営者の関係さえきっちりできれば、機能する形に似ている。そして個人の資質や努力ががそのまま成果に反映されることが多い。組織プレーを考えると、これは通常のチームプレーで行われるスポーツに相当する。チームプレーは多くの場合、監督がいて選手がチームを組んで、相互に競い合うと言う点でどのスポーツもかなり共通していると考えられる。そうすると、個人とチームの関係や、チームと株主、社長、社員などの関係を明確にすることが、そのまま仕組みの比較になる。ここでは、組織の役割を考察することを目的として、プロのチームスポーツについて検討してみることとする。また、スポーツで成果をあげるためにしなければならないことを考察することは、ビジネスをする上で必要なことを見定めるために、大いに役立つことがわかる。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    まず、ビジネスの基本である、お客、株主、社員を考えてみると、お客はスポーツの観客、株主はスポーツ団体のオーナー、そして社員は一人一人の選手ということになる。これはあまり異論無く見える。では、社長と事業者は同じだろうか。スポーツチームと言う意味では社長は監督に相当すると考えられる。事業主はというと、オーナーと言うことになる。すなわち、オーナーはCEOに相当し、監督はCOOになると言うわけである。たとえば、チームの合併や売却などと言うことを決定するのはオーナーの仕事であり、監督の仕事ではない。つぎに、選手の役割を考えてみる。ビジネスでは、社員がその役割に相当する。社員としていかに、能力を発揮するかそして、自分として最大限成長して行くかということが、もっともチームの貢献できることになる。選手一人一人の技術は、監督やオーナーを凌いでいることは、当然である。
</p>
<p>
    機能から見た、社員、社長、事業主<br />
    社員を率いる社長の役割は、チームを勝利に導く監督と同じで、非常に重要である。この時に、スポーツの世界とビジネスの世界は、面白い対照性がある。スポーツの世界では監督は選手に個々のプレーでかなわないのである。その選手を評価、指導するわけだから、並みのリーダーシップではやって行けない。それに対し、ビジネスでは、やはり社長は社員を評価、指導するわけだから、同じように、技量、リーダーシップが要求される。個々の社員が優れているほうが全体の戦力が向上するし、組織全体としては活力を生み出すはずである。逆な言い方をすると、社員の個人能力の限界が、組織の限界と言うことと同じである。
</p>
<p>
    チームプレーと和<br />
    ここで、日本では今だ不思議な尺度が登場する。「和」という尺度である。この行為はチームの「和」を乱すとか、チームプレーは「和」が大切だとか、このロジックが、不思議なのである。「和」が大切だとかいう理由はいろいろ考えられるけれど、成果（勝負）を目的に組織（チーム）が組まれていることを考えると、これは、目的外の尺度である。先ほど述べた、社員のほうが社長より個々の分野で優秀であることは、組織の機能が大きく向上することである。この認識があるとすると「和」というのは、組織やチームを運営する側の勝手な期待であり、本来求めるべき成果と異なった尺度になる。これにこだわりつづけると、事業目標とずれていることから、チームは弱体化する。
</p>
<p>
    CEO、COOの役割<br />
    CEOはビジネスであれば、組織の運営に責任を持ち、組織に成果を要求する立場である。その一方、COOはそれを具体化して成果に結びつける役割を持つところである。あくまでも、機能としての役割が重要で、いずれも明確な目標に向かって進むところは、スポーツと同じである。あえて、スポーツと異なるところを挙げるとすると、ビジネスには階層構造が存在して、多くの場合、上下関係が存在することである。すなわち、上司の命令は、社員が従わなければならないことになっていることである。多分、COOと社員が、直接的につながっている場合には、ビジネスとスポーツにはそのチームの構造や、運営に大きな差は無いと思うけれど、階層が発生するところで、様相ががらりと変わる。次回は、ここの部分をいかに速く動かすかで、ビジネスのスピードが変わることを検証してみたい。
</p>
<p>
    <br />
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 114 スポーツとビジネス　その1 20000715</title>
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   <published>2007-09-14T03:24:43Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:25:05Z</updated>
   
   <summary>     スポーツは、戦いのシミュレーションとも言われるし、またビジネスの動きと...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
   </author>
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         <category term="多様性" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    スポーツは、戦いのシミュレーションとも言われるし、またビジネスの動きと似ているところもある。今回はスポーツを時間と言う観点で考えてみて、ビジネスとの共通点や、あるいは成果の出し方がどのように関連しているかを考察してみたい。個人プレーとチームプレーについても考えてみたい。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    個人プレー競技とと時間<br />
    時間とスポーツの関連と言う意味では、大きく3つに分けて考えるのが良いのかもしれない。まず相撲、卓球、テニスなどのような、勝負がつくまで、時間は無制限というもの。次は柔道、ボクシング、などのように制限時間を決めて、その中で勝負を決めるもの。そして、水泳や多くの陸上競技の<br />
    ように順位が勝敗の尺度であるもの。この時には時間や距離という外部尺度が用いられる種目に分けられる。最初の時間無制限の種目は、必ず勝敗が存在する。2番目の、制限時間の決められたものには、引き分けが存在する。その時にはある種のルールで、判定や優先事項（たとえば、ボ<br />
    クシングの場合には、引き分けはチャンピオンの勝ちのようなルール）が存在する。そして、外部の尺度を利用する種目は、時間や距離などの数字自身が大きな意味を持ち、世界新記録とかが順位よりも重要視されることがある。初めの2つが勝負という「相手との関係」がポイントであるのに対し、最後の競技は「絶対基準」への挑戦が、勝負を決するという構造になっている。
</p>
<p>
    チームプレーと時間<br />
    それでは、チームプレーでは、どのようになっているであろうか。チームプレーではほとんどのものが、初めの2つに入ってしまう。代表的なものは、制限時間の無いものとしては、野球、バレーボールなどがあり、制限時間のあるものとしては、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど多くの種類<br />
    のスポーツが含まれる。世界中で人気のあるスポーツがサッカーと言われている点とか、制限時間のあるスポーツは人気があるように思う。（ここは大いに偏見があることは承知の上）この、制限時間ということが、試合を盛り上げるのである。たとえば、マイケルジョーダンが、引退した年のMBAファイナルなど、シカゴブルズがリードされて試合修了まであと15秒位だったと思うが、マイケルジョーダンが相手からボールを奪い、シュートして逆転して、優勝したわけである。この盛り上がりは、時間が限られているがゆえに発生する感動であり、興奮である。それは、ラグビーやサッカーも同じような状況になりうるのである。野球やバレーボールなどはその点クールで、あくまでも勝ち負けがどうなるかということがポイントであり、それには時間の要素は大きな影響を持たない。
</p>
<p>
    時間を考えたプレーヤーの行動<br />
    チームプレーといっても、プレーヤーは個人である。時間を考えてプレーをするかどうかで、プレーヤーのやり方は変わる。制限時間のない競技では、相手の隙の乗じたチャンスを生かすことが重要な点である。そのためには揺さぶりをかけて攻撃を組み立てることが、作戦の基本となる。ところ<br />
    が、制限時間のある競技を考えてみる。たとえばサッカーを考えると、攻撃の組み立てはもちろん必要であるが、さらにプレーヤーは自分のところに来たボールをいかに早く点数に結びつけるか、という時間のファクターを考えに入れた動きが必要である。この部分を考えると、ビジネスに近いのは、時間制限のあるスポーツということになると思う。（これは、良い悪いの議論でなく、スポーツの特性論である）アメリカンフットボールという異質なものアメリカンフットボールは米国ではとても人気の高いスポーツである。そして、制限時間でするスポーツであるが、攻撃と守備でチームのメンバーが入れ替わると言うルールになっている。ひとつのチームの中に攻撃専門のメンバーとと、守備専門のメンバーがいるわけである。これは、スポーツとしては相当に特異な形態になっている。しかし、ビジネスと言う視点で考えると、このアメリカンフットボールが、一番ビジネスに近いことがわかる。次回は、その解析をしてみる。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 111 教えることと学ぶこと 20000623</title>
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   <published>2007-09-14T03:23:15Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:23:21Z</updated>
   
   <summary>     教えることと学ぶことは、一対の言葉のように考えてきたけれど、どうもこれ...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
   </author>
         <category term="シリコンバレー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="ビジネス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    教えることと学ぶことは、一対の言葉のように考えてきたけれど、どうもこれは考え方が違うようだ。以前は、教える人に教えるものがあったと思っていた。たとえば、掛け算とか、飯盒でご飯を炊くと言うような技術がそうであった。しかし、技術という中に盛り込まれない事柄、たとえば、政治家と芸術家はどちらが世界平和に貢献しているか判断する基準とか、プロスポーツ選手と経営者は稼ぎ高が大きければ優秀と評価して良いかなど、教えることの難しいことがたくさんあることがわかる。社会生活をしていると教えることができない項目のほうが圧倒的に多い事がわかる。そのときに人は、何から学んで何を考えるであろうか。ここに、教えられないことを学ぶということが発生するし、それが結果的に人間の価値観の多様性を生み出すこととつながっている。教えることを考えてみれば、教える人が意図したことがそのまま伝わることもあるし、逆に学ぶ側からは反面教師として、教える人から学ぶことも多くある。ここでは、個人がどのように学ぶことと向き合っているのか考えてみたい
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    教えることは、相手を知った上で可能となる<br />
    教えることは、その個人のレベルやニーズに合わせることによりはじめて意味を持つことが多い。これは古くから言われている「卒啄の時」といわれる、ものである。時宜を得た教えが、それを必要とする相手にしっかりと理解されるときである。このことは、個人のレベルでは重要なことを示唆している。すなわち、同じ事柄でも、タイミングが異なると、理解が異なるあるいは、理解されないということである。教える側としては本当に理解されるときを見極めることがもっとも重要になるのである。掛け算やご飯の炊き方はそうではなく、必要なときがそのタイミングと考えることができるけれど、多くの、知りたい事柄の多くはニーズ先行だと思う。すなわち、知りたい時が教え時である。
</p>
<p>
    我以外、皆師なり<br />
    かつて、「宮本武蔵」などの長編小説を書いた、吉川英治という作家は、揮毫にこう書いた。「我以外、皆師なり」と。これは、氏の晩年になっての言葉であり、人間の生き方をさまざま考えることでたどり着いたひとつの結論である。私は、この言葉は誰にでも、いつにでも当てはまる真理だと考える。それは、人間が肉体的には新陳代謝を続けながら生きる生物であり、精神が肉体を誘導する仕組みを持った構造と良く合致していると思う。すなわち、刻々と変わる変化に次々と対応して行くのが、人間の持つ重要な機能であり、変化に対応して生きて行くには、いつも外部から学ぶことが重要と考えるからである。
</p>
<p>
    教育の本質は絶対評価<br />
    また、学校時代の勉強や受験などでは、相対評価が大きな意味を持っている。しかし、それは２つの意味で間違っている。ひとつは、評価をする範囲を狭くしていること、次は、相対優位は、時として価値を持たなくなることである。良く言われるのは、日本のプロゴルファーは、賞金獲得金額は世界レベルになったけれど、世界レベルでの活躍は多くない。このことは、閉じられた世界での競争というのは、限られた意味しか持たないということになるからである。さきのUSオープンで優勝したタイガーウッズはCNNのLarry King Liveという番組で、ゴルフの試合で本当の競争は「自分自身」と「コース」にあるといった。これが、究極の学ぶということへの原動力であると思う。自分自身をより良くしてゆくために、あらゆる限りのことをする。そのためにどのようにするのが合理的で正しいことなのか、これを学ぶことがまず第一である。
</p>
<p>
    身の回りにある勉強の種<br />
    学ぶというと、学生時代の勉強を思い出して、楽しくなくなることが多いけれど、自分の興味にしたがって、学ぶ種を探してみたらどうだろうか。これは、なかなか面白く、私は、これこそ究極の勉強だと信じて疑わない。役に立つかどうかでなく、興味の続く限りやるのである。自分がどこにいるのか一番知っているのだから、手を抜いたら面白くなくなるし、突き詰めるにきりがない。そして、万一突き詰めたらその分野での第一人者は間違い無しである。こんな人たちが増えると、個性の発揮できる社会が可能になるように思う。
</p>
<p>
    間違いを直すことも学ぶこと<br />
    日本人は、間違いを起こすことに慣れていない。これは、学校教育が大きく影響していると思うけれど、たとえば、「英語を間違える」ことにこんな敏感な国民はないように思う。アジアの国々の人など、英語でも何でも、主張することが先にあり、言葉は後という感じでしゃべりまわる。これは日本人は真似しにくいけれど、損している部分であると思う。間違いを直すことは必要だけれども、間違いを犯すことを恐れてはいけないと思う。この日本の閉塞した状況を少しでも、活力のある方向に変えるのは、間違いを覚悟で一歩進み出すことだと思う。
</p>]]>
   </content>
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   <title>【復刻】 110 マネジメントと管理 20000617</title>
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   <published>2007-09-14T03:21:59Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:22:05Z</updated>
   
   <summary>     マネジメントという言葉ほど、なじみがある割には意味がはっきりとしていな...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    マネジメントという言葉ほど、なじみがある割には意味がはっきりとしていない言葉はない様に思う。通常日本語に訳されると、経営とか、管理という言葉になるが、まず、経営と管理とは大きく意味が異なる。経営は目的であり、管理は手段というのが大きな違いで、この差が日本語での使われ方に大きな違いを発生させているように思う。ITの利用や、Win-Win思想が主流となった現在の状況から考えて、どのようにマネジメントあるいは、管理というのを考えるのが好ましいのか、考察する。
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    管理と訳した場合<br />
    マネジメントを管理と訳した場合には、管理する対象があることになり、それを効果的に管理することが、マネジメントをうまくやることと同義になる。これを組織の中でやると上位者が下位者を管理するパターンが一般的になる。それは、指揮系統でいえば、命令・従属の関係を意味する。そこでは、個人の「地位」が権力の強さを表し、それを最大限発揮することが、優秀な管理者という評価につながる。そして、下位者に対して上位者は優れているという立場に立っていることになる。<br />
    これは、縦社会の中での管理として考えるとわかりやすい。すなわち、軍隊のように常に上位者が下位者の命令を下し、しかもそれが絶対という形になっている場合が、典型である。ここでの管理は、上位者が文字通り、生殺与奪の権利を握っているといえる。
</p>
<p>
    マネジメントが目的であるということを考えると、先ほどの管理というのは、かなり限られた世界でのみ効果的なことがわかる。すなわち、決断を下すのに時間が取れない場合とか、絶対権限のもとでの組織行動が、それに対応する。これこそが、縦社会が持ってた本質のところであり、上からの命令は間違いが無く、そして下はそれに従うことでその責務を果たす関係である。マネジメントの目的が、最上位者の目的達成になるのが、一番効果的になるケースである。
</p>
<p>
    少し視点をずらして、組織それ自身に目的があり、組織の最上位者はその目的を達成することが使命だと考えてみる。そうすると、最上位者の考え方は前述のケースに比べて大きく変わる。最上位者個人が持つ目的と、組織の持つ目的とが必ずしも一致しないからである。そのときに起こるのは、いかにして組織の目的を遂げるかという、自分と離れた客観的な対象に向かって組織を運営して行くからである。そのときに、最上位者は組織の目的を達成するために、命令をするのが一番効果的なのか、それともやり方を変えるほうが良いのか、判断を迫られることになる。
</p>
<p>
    このときに重要になるのは、組織としての最大限の力を発揮することである。個人の目標だけで動く組織も力を発揮する場合もある。しかし、世界の大企業と呼ばれる組織は、個人ではなく会社の目的で動いている。これを達成するためには、いくつかの仕組みが必要である。組織としての目的が明確であり、そのときの最上位者に、しっかりと理解されること。そして、その目的のために、組織の全員が力を合わられるようにするのが、最も重要なことになる。実はそれがマネジメントの本質部分である。つい先頃までの管理は、上位下達を徹底することであった。しかし、組織の目的を達成するためには、現在はたくさんの方面の力を借りなければならない。すなわち、製品を売り出す場合を考えてみても、製造技術は当然のこととして、技術開発や、マーケッティング、販売、そして社員の福利厚生などもすべて、目的のために協力し合わなければならない。そこで出てくるのがマネジメントである。自分の部署だけであれば、管理という形でも動かすことは可能である。しかし、他部門にもまたがった部分を扱うことができることを期待されているのが、マネジメントなのである。だから部下だけを見ている管理者という言葉では、現状の仕事を表すことができない。
</p>
<p>
    信頼とネットワークが重要なキー<br />
    先ほどの縦社会が、現在は限られたところで機能しているのに対し、組織からのつながりはますます横へと広がっている。これはインフラとしてのインターネットの利用が組織の枠を越えながら進んでいることと、現代の組織の運営は、個人の判断だけでは限りがあるため、積極的に外部からの情報や、支援を受け入れる仕組みにしているためである。すなわち、個としての広がりが具体化している結果だと考える。そして、目的を達するためにそのような広がりを活用するには、信頼という基本関係が重要となる。本当に目的を共有できて、その目的に向かって進むことを考えると、信頼に基づいた、ネットワークこそが重要であることがわかる。
</p>]]>
   </content>
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   <title>【復刻】 109 ロジスティックスの重要性 20000610</title>
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   <published>2007-09-14T03:20:40Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:20:44Z</updated>
   
   <summary>     ロジスティックスは、兵站（へいたん）とか訳されるが、今だなじみが薄い言...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    ロジスティックスは、兵站（へいたん）とか訳されるが、今だなじみが薄い言葉である。最近では物流という言葉の意味でも使われることがある。前線に物資や兵員を補給するシステムを指し示す言葉である。歴史を振り返れば、太平洋戦争で日本軍と米軍の戦争行動の大きな違いはロジスティックスにあったと思うしもっとさかのぼれば、元寇のときにも元軍は単身日本に攻め込んできた。背後に補給システムが無いから、元軍は日本に上陸したとしても、戦いを続けることは不可能であったと思う。このように補給ということを取り上げてみると、ロジスティックスというのは、生死を決する重要な事柄のひとつである。Ｎｅｔ時代にはどのように考えるのか、考察してみたい。筆者は戦争肯定者ではないが、戦争で説明するのが最もわかりやすいので、それでたとえてみたい。
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    情報はロジスティックスのひとつである<br />
    まず、情報はロジスティックスのひとつである。これは、前線の兵士に指令を出すことを考えると分かりやすい。前線の兵士は、戦線の状況は良く分からない。日常的に戦線の状況を教えるのは大切なロジスティックスの役割である。物資の輸送が身体的要求にこたえるロジスティックスであるなら、情報は知的、精神的なロジスティックスである。これは、企業経営にも同じことが言える。企業の前線で働く人にとって、物資や情報の供給があるのとないのとでは、働き方が大きく変わる。前線が、自分の役割に徹することができるかどうかに影響するわけである。もちろん、戦争でも企業活動でも最前線が勝敗を決するわけであるから、指揮官は常に最前線が活動しやすくすることに配慮が必要となる。昔は、前線に恐怖感を持たせて、死に物狂いに兵士を働かせたこともあったが、これは長続きする方法ではない。前線の信頼を構築しながら支援する仕組みが無いと進まないし、そのための情報のロジスティックスは重要である。
</p>
<p>
    物資の場合<br />
    物資の場合も同じようなことが言える。すなわち、補給が断たれたら前線は自分で補給を確保しなければならない。自分で補給して自分で戦うのでは、軍隊の組織ではない。個人ゲリラの範疇になってしまう。それを避けるには、自分のロジスティックスの範囲にしか兵を置いてはいけないということになる。これが、その地域での戦いの結果を決めることになる。日本軍はロジスティックスの無いことを、片道燃料の攻撃法でかわそうとしたが、結果は周知のとおりである。この習性から抜け出せていない部分は今でも結構ある。戦いはロジスティックスに左右されることが多い。
</p>
<p>
    支援こそ本質的ロジスティックス<br />
    インターネットの時代になり、ベンチャーが事業創生するときにも、ロジスティックスは大きな役割を果たす。なぜなら、戦争で言えば、過去に経験の無いところで戦いをしなければならないからである。このときほど、基本的なロジスティックスが重要になるときは無い。誰も経験したことの無いネットワークで仕事をするわけであるから、お手本は無いし、指導してくれる人もいない。ここで、情報やインフラやそして、兵糧にあたる資金などが入らないと、事業展開はできない。これをいかにきちっとやるか、難しくもあり重要なことである。今、日本でベンチャー起これという掛け声は聞こえるが、実際に何が必要で、何をなすべきかというのは、まだ正しく認識されていない。必要なのは、支援であり、それは建築物ではなく、動きに合わせた情報と兵糧なのだ。
</p>
<p>
    ロジスティックス強化の方法は、今できることを、すぐに支援すること<br />
    その意味からすると、これからの時代に必要なのは、支援する仕組みであり、これは何もベンチャー支援だけに限らない。本当の意味での、個人意識や社会常識が変わることしか、支援を定着させる方法はないように見える。それであれば、むしろかんたんである。出きることから支援すること、これを今からはじめることが、ロジスティックスを教化することなのである。
</p>]]>
   </content>
</entry>
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   <title>【復刻】 108 経済効果について 20000603</title>
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   <published>2007-09-14T03:19:06Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:19:10Z</updated>
   
   <summary>     経済効果という言葉は、定義を明確にしないとあいまいになってしまうけれど...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    経済効果という言葉は、定義を明確にしないとあいまいになってしまうけれど、米国をはじめとする各国が好景気の持続をしていることを横目で見ると、日本の景気対策は何かおかしい気がする。それはひとえに、直接支出が経済効果を生み出すと考えているためではないかと思い始めた。今、ベンチャーだとか、E-Businessのような言葉が飛び交って、つい先ほどまではNet株が高値をつけていた。しかしその実態は必ずしも、経済効果を生み出すほどのものではなかった。これは、今までの支出の仕組みを考えれば、やむをえない帰結である。すなわち、既存の延長にしか支出をしないで、ベンチャーの人たちがんばってくださいというわけである。今までの経験で言えば、ベンチャーを始めるための建物を用意してから、さあベンチャーを始めてくださいというわけである。各地方にある建物は、そんなでき方をしているから、管理費も高くて肝心のベンチャーが入れないと言う笑い話まであるくらいである。ここでの、経済効果は建築にかかった資材と、労力の合計であろうし、完成した後の資産価値は、その中に入った人たちの支払う家賃分と言うことになる。<br />
    もう少し考え方を広げてみよう。通信分野でNTTとかDocomoとかが経済効果を大きく出しているともてはやされている。しかし、通信と言うのはインフラのひとつであり、あくまでも手段である。世界はこの手段を使っていかに価値を生み出すかでしのぎを削っているわけである。このコストが高いと、世界に価値競争のできるビジネスが生まれないことになる。これを少し考えてみたい
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    直接支出の先は、すぐ見える世界<br />
    景気対策ですぐに出てくるのは、建設支出であるが、これはすぐに雇用が発生し、出来上がれば「もの」として見えるから、消費していることはわかり易い。そして今でも、昔のままの計画に従い、過疎の村にもどんどんと道路ができ、不要な治水工事なども計画的に行われる。これは、あくまでも予算を流し込んで支えている事業だと思える。これを、政府が常に行っているから、新規事業に振り向けられる予算と言うのはほとんど発生しない。しかし、建築物を建ててそこでの事業によって収益をあげることを考えてみよう。このときに一番重要なことは、いかに安く作り、使えるかと言うことである。バブルのころ建てられた東京のビルが外国資本に買い取られる様子をTVで見たことがあるが、外国資本はあくまでも運用価値からしか値段を算出していない。これは資金運用の観点でも当然のことであり、経済原則からすれば当然のことである。番組ではバブル時の価格の1/10まで下げてやっと買取が成立した様子が映っていた。経営改革に行き詰まっている日本企業の多くが、不動産投資によって傷を受けていることからも、この分野での支出は極力避けたほうが、長い目で見て経済効果には良い影響があると考えられる。
</p>
<p>
    安いことは豊かなことと同じ<br />
    日本は、所得水準では世界でもトップランクになってきているけれど、それに合わせて食費や住居費などが高いので、あまり豊かな実感はわかない。これは、海外に旅行や買い物に行った人たちが一様に感じることでもある。すなわち、生活必需品を安くすることが、生活を豊かにすることになるのである。
</p>
<p>
    経済効果と豊かさ<br />
    現在の日本の経済指標に合わせると、直接支出に予算を回すことで経済効果を表す指標は良くなるのであろう。しかし、国民が豊かにならない経済指標などは、意味のない数字である。この悪循環を断つには、直接効果の先を考えることが必要になってくる。これができるのは、事業を育ててきた経験を持つ人たちであると思う。その思い入れと、実績が変革を導き出す大きな力になる。護送船団に入っていた業界は現在状況の良くないところが多い。これは、調整型の事業が活力を失った例である。しかし、現在事業を持っていることは、将来の展開を持ってやるわけだから、それらの経験者こそ、仕組みを変える事ができるであろう。官尊民卑の因習はあるとしても、もはやこの国の将来を考える人が事業経験者でなければ務まらないことを意味する。
</p>
<p>
    インフラの安い社会<br />
    インフラは地域に即しているものが多いので、これは意図的に管理しないとその地域人たちは大きな影響を受ける。道路や、電話料金や、電力など米国では政府の指導で価格の低下が進められているのに、日本では既得権の温存で何も変わってきていない。（あえて言うと、ADSLの通信料金は安いと言えるかもしれないが、まだ限定地域だけである）これだけ新技術、新事業を創出すると言う掛け声は良いけれど、その成果指標が“経済効果”であるとすると、現状の日本は強くなれないし、国民が豊かになれないことになる。インフラを安くして、新事業が創出しやすくなることこそ、行政主導のポイントであると考える。今のままでは、経済効果のための施策は出るとしても、実質的効果を生み出すことにつながらないと思えてならない。
</p>]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>【復刻】 107 企業トップの持つ役割 20000627</title>
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   <published>2007-09-14T03:17:30Z</published>
   <updated>2007-09-14T03:17:35Z</updated>
   
   <summary>     ネットワーク社会がだんだん見えてくると、会社のトップによって対処する手...</summary>
   <author>
      <name>アトム</name>
      
   </author>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.imanetinc.com/svweek/">
      <![CDATA[<p>
    ネットワーク社会がだんだん見えてくると、会社のトップによって対処する手法や考え方や戦略が違うことが企業の方向性を決める上で大きな差になってきているように思う。これからの時代はいかに「個」の持つ多様性を企業の中に取りこむかという点がポイントになるからだと思う。言いかえると、ネットワークと言う「個」が介在して成立する仕組みに、どのように企業としてそれらの「個」に対して求心力を持たせるかということである。こんなことを考えていたら、書店で月刊文藝春秋の6月臨時増刊号は「どうする？どうなる？私たちの21世紀」という特集を見つけた。以前ご紹介したIMD（国際マネジメント研究所）のデータも特集されていて、世界の視点からの日本の現状が、良くわかるようになっている。ぜひご一読いただきたいと思う。
</p>]]>
      <![CDATA[<p>
    過去の蓄積という慣性力<br />
    企業という組織体が、その中でほとんどあらゆるカバーができていた時代はつい最近までのことである。住居やレクレーション施設などとりわけ大企業はすべて自前で行える力があった。しかしながら、所詮それらの運用も資産価値の下落に伴って、維持できなくなってきている。これは、企業そのもののが目的とする活動ではないから、切り捨てることはそうむずかしくはないはずである。しかし、人によっては、入社の動機が厚生施設が良いことで入社した人もいるわけで、当時の会社の思想が、社員の心に残っていることも多い。過去の蓄積が慣性力となり、現在の思想や行動を規定して行く部分である。そうは言っても、背に腹を変えられないご時世であるから、従来の価値観を切り替えるトップの手法は重要な企業戦略となる。
</p>
<p>
    ますます「個」は外へと向かう<br />
    これは、企業コンサルタントそしている私の友人からの情報であるが、ネットワークで仕事をするようになると、企業への定着率が悪くなり、離職率が現在の3倍から5倍くらいにすぐ変化すると言う。これは、ネットワークの中で考えると結構重大な問題だと思う。その理由は、ネットワークで仕事をするときに、重要な少数の人をネットワークの要所に配置していることと、仕事の継続性が守れないことによる。前者は、場合によると会社と言う組織が動かなくなることとつながっているし、後者は会社の文化の継承ができないことを意味する。これだけ、「個」が外へと向かうことが現実になると、従来の企業観は大きく様変わりする。すなわち、「個」が出入りしても影響を受けない組織や企業風土にすることが必要になってくる。
</p>
<p>
    「個」に何を期待するか<br />
    この状況で、経営者が考えるべきことは何だろうか？いろいろあるのは間違いないが、「個」の行動を押さえることではなく、「個」の開放性を取りこむことである。この間のインターネットホームページで東芝が狙われてしまったように、今や「個」の持つ力はやり方によっては、大企業に拮抗することも可能になってきている。今までは、大企業しか事業原資を持っていなかったので、個人が大きな事をするには、大企業に入ることが近道であった。しかしながら、今や原資がネットワークという方法で公開されてきているし、もともと大企業といえども「個」によって事業が動かされていたことに変わりはない。そうすると、21世紀には「個」を生かしきる企業しか生き残れないということになると思う。その、「個」を生かしつつ企業の求心力を生み出すということこそ、これからの経営者に望まれる指導制と戦略性である。
</p>
<p>
    歴史に学ぶことは多い<br />
    この難しい時代を乗り切るには、歴史を学ぶこともひとつの大きなステップだと思う。あらゆることは、問題意識さえあれば常にヒントを含んでいると私は信じている。その中で、これからの日本人の一人一人が学んで行くことが、21世紀の社会を大きく変える力になるだろう。そのときに、学問の目的、企業の目的をどこに据えて進んで行くのか、今重大な時期にさしかかっていると思う。しかも重要なのは、学ぶだけでなく応用動作をどうするかと言うことがキーとなる点である。IMDのデータでも従来の権威や知識はその価値を大きく減らしていると警鐘を鳴らしている。それは、時代の変化が激しいため、従来型の思考と対処では対応できないことを意味している。それはそうであろう。今まで人類が経験してきていない変化に遭遇しているわけだから。このような時代は、すべての「個」が一生懸命考えて進むことしか解決法はないと思う。そのときにこそ、一人一人が時代を変えうる大きな「個」と言う存在を実感するのだと思う。
</p>]]>
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