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【復刻】 044 Gold Rushとシリコンバレー 19980713

1848年は、カリフォルニアに金が発見された年です。それから、49ers(フォーティーナイナーズ)と呼ばれる人達が次々と、集まりGold Rushとなったわけです。その時代日本はといえば、徳川家慶が将軍の時代で、アメリカ、イギリス船が続々と日本にやって来ていました。当時の米国はといえば、米墨戦争が終わり、カリフォルニアを米国の領土としたばかりでした。ヨーロッパといえば、フランスの二月革命が発生したり、マルクスの共産党宣言も発表された年でもあります。調べてみると、なかなか世界的にも変化の激しい年であった事がわかります。

はじめに見たのは、炭坑方式
金鉱は、同好の志を集めて合計4人で出かけました。シリコンバレーから北に約300Km行ったところにあります。州道49号線沿いに、過去の金山が並んでいるわけです。私の頭の中には、以前観光で訪れれた、佐渡の金山と、伊豆長岡の金山のイメージを持っていました。たがねで鉱石を砕いて、もっこで担いで運び出すというやつです。さて、Grass Valleyというところにはじめに行きました。Empire Mine(金鉱帝国とでも訳すのでしょうか)と呼ばれる、今は史跡になっている場所を見学しました。ガイドツアーに入りました。はじめは創立者の屋敷などの説明で、ここまでは米国の史跡ツアーではごく普通の紹介でした。そのあと、鉱山の案内になりました。そこで見せられたのは、日本の石炭の炭坑と同じ、竪穴式でトロッコに乗って坑道に入る方式でした。そして、地下の坑道の深さは11000フィート(約3300m)まで坑道が伸びているということでした。採掘された鉱石はスタンプミルという鉄の杵で破砕されます。その後で、破砕片を大量の水を使って金を篩い分けて取りだします。その金は水銀を使って抽出します。記録によればこの鉱山は20世紀の中ごろまで営業されていたといいます。1850年には水晶鉱脈の中から金が見つかりこの鉱山だけで総額4億ドル相当の金が発掘されたそうです。ガイドの説明によれば、それでもまだ埋蔵の金の2割しか掘り出されていないそうです。(当時の金価格は1トロイオンスが$19だったそうです)
我々には,炭坑形式の金鉱は予想外ではありましたし、その規模と発想と工業化された姿を見て、日本の江戸時代とも重ね合わせて、なかなか複雑な心境でありました。そして、南へ60Kmほど下りました。

最初の発見の場所
1848年1月24日、James Marshallが金を発見したのがAmerican Riverと呼ばれる川沿いの砂の中からでした。これが、当時の新聞に載ったことからカリフォルニアのGold Rushへとつながったわけです。この川には、今でも砂金を求める人が沢山います。ちょうど、夏休みの季節でしたので、キャンプしながら、釣りや砂金探しをして過ごす人達が沢山いました。
この、砂金探しは、Panと呼ばれるお皿に砂を入れ、水の中で軽くゆすります。上の部分を取り除いて沈んだところから砂金を取るのです。砂金は砂鉄のような粉末ではなく、歯の詰め物のような塊で取れます。我々も、Panを購入して砂金に挑戦しましたが、今回は収穫はありませんでした。
しかし、ちょうど砂金探しに来ていた人からいろいろ説明を受けて、どのようにしたら、うまく探せるかを聞きました。また、know-how本も手に入れましたので、次回には相当な収穫が期待できると信じています。


吊るし首の町というPlacerville
我々は、Placervilleという人口9000人ほどの町に宿泊しました。そして夜になってその町の酒場に立ち寄りました。するとその酒場の中には、木が生えていて、そして枝には縄がかかっています。この酒場は、Hangman’s Treeという名前で由来は、当時正義の名のもとにリンチが行われ、多くの人達が吊るし首になってしまったのに因んで付けられたそうです。そう言えば、この町のシンボルは吊るし首に使う縄になっています。たまたま、地ビールを頼んだところ、Hang Town Beerというビールが出てきました。どこまでも、ブランドに徹する姿勢に敬意を表して、おいしくいただきました。
アルコール度が6.4%とあり、なかなか利きの良いビールではありました。

Gold Rushとシリコンバレー
サンフランシスコとサクラメント(カリフォルニア州の州都)とはGold Rushで成長してきた街ですが、実はシリコンバレーのSan JoseもGold Rushと深い関係があることが判りました。それは、当時水銀の鉱山がSan Joseにあり、金抽出用に大量にこの場所に送られていたそうです。ですからSan Joseで発行しているSan Jose Mercury Newsという新聞は、その当時の名残りでがあることがわかりました。まだまだ金鉱や、過去の町など見ていないところが沢山ありますが、Gold Rushが砂金だけでなく、工業的な手法で進められていたのは、意外な発見でした。私は、Gold Rushでどれだけの金が採掘されたのかを調べようとしているのですが、金山ごとに数字が大きく食い違い、まだ正確なものはつかめていません。そして、馬車しかない時代に沢山の装備を運んだりした当時のパイオニアたちの情熱と、シリコンバレーの人達の意識を更に調べてみたいと思いました。

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