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共同研究での仕事の分担 その2

  • 2007-07-09 (月)

仕事の分担といっても、社内と、社外がある。

社内的には、研究所が基礎周りの対応、工場が開発から生産へを担当する。 すでに開発のプロセスに入っているとの位置付けから、工場の開発担当部長が指揮をとることになる。 このころである、今まで使われていなかった工場内の空地をならして、建設現場のプレハブ小屋が建てられた。 共同研究から本格生産まで、この工場内でやろうというわけである。

共同研究の、会社間の対応はというと、両方の会社の窓口を一本化することにした。 こちら側は、開発部長が指揮をとり、社内のプロジェクトを動かす。 IBM側もほぼ同等のプロジェクトリーダーが指名され、この2名がプロジェクトを引っ張ることになる。 

三菱の社内では「特命プロジェクト」という位置付けで、工場トップ(当時常務取締役、後の社長)が本社内での調整、仲間作りを推進し、事業部長が、迅速な予算化、人の手配などのサポートをした。

1987年にスタートした共同開発は、1990年には製品を市場に出すことができるスピードで進んだ。
若手は、IBMとの仕事で英語を勉強したり、海外出張の機会に恵まれたり、とてもやる気が出ていた。
しかし、仕事は、遅くまで続くので、帰りが明け方になることも多かった。

インターフェースの人の行動の中で、特に重要だったのは、責任を持った仕事の仕方で、これはMeetingで顔を見ながらやることが重要であったし、誰が何を約束して、いつまでやるかというのは、常にAction Planとしてお互いが持ち、それを確認しあった。

今まで、石油化学工場というところでは、製品の質は定量性があればよかったが(純度とか、物理指標)、電子機器というのは、MOの場合ドライブの特性から来る触れ幅、ドライブ、メディア製造工程の触れ幅、これらを考慮して、感度最適化、作りこみの達成などをやってゆく。

IBMが最初に評価した、光磁気ディスクは、2枚を張り合わせたものであったが、その規格を決めた国際規格はいつの間にか消え、一枚の単板メディアを採用していた。  ドライブが、両面にピックアップを持ってこなければいけないというので、製造上の難しさとコスト高の圧力があって、消えていった規格である。   続く

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