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【SV】 シリコンバレー起業家精神の原点 歴史編

  • 2008-01-08 (火)
シリコンバレーの歴史をまとめてみた。






シリコンバレーの地理とゴールドラッシュ

シリコンバレーは、米国西海岸カリフォルニア州の北に位置している。
サンフランシスコ市とサンノゼ市に挟まれた比較的狭い地域を指す。
半導体産業の創出を図ったことが、シリコンバレーという呼称の由来である。
しかし、半導体のみならずパソコンや、バイオテクノロジー、ネットワーク機器、インターネットビジネスなど新産業創出の歴史を作ってきた場所でもある。
その原動力を探るためには現在起こっていることを解析しても、本質的な部分は見えてこない。 

SVMAP00.jpg

シリコンバレー全体図         

今回は、シリコンバレーの仕組みを作った人々のもつ気質や、地域の特色を歴史的な観点からも含めて解析を行い、日本との比較を行うことでその特色を明確にする。

 GoldRushMAP00.jpg

ゴールドラッシュの場所


ゴールドラッシュからシリコンバレーへ
シリコンバレーのパイオニア精神(アントレプレナー精神と置き換えても良い)を歴史的に考えると、1848年のゴールドラッシュから始まると考えてよい。1846年から48年までの対メキシコとの戦争で、米国はカリフォルニアを領土とすることができた。そして、カリフォルニア州の東北部に当たる地域から金鉱が発見され、一攫千金を目指す東部からのPioneer達が多数集まるようになった。このときの人々が、後のカリフォルニア住人となるわけである。現在も金鉱は残っているが、金含量が採算に合わないので廃鉱となっている。

GoldmineTunnel.jpg

金鉱廃鉱の入り口
 

GoldmineMILL.jpg

水力による金鉱石選別装置

 

最初に金が発見されたAmerican Riverの様子


 
東部からカリフォルニアへルートはいくつかあるが、陸路としては州の東側にあるロッキー山脈を越さなければカリフォルニアに入ることができなかった。 現在でもコロラド州からのロッキー山脈に上がってゆく道の脇には、当時の幌馬車のわだちが残っているところがある。 そして、山脈のはるか向こう側に目指すカリフォルニア州がある。 しかも越えるべき山の高さは、一番低いところでも4000m近くある。

Rocky Mt.JPG

コロラド側からロッキー山脈を望んだ写真
この写真のはるか向こう側にカリフォルニアがある

そのような、過酷な移動をしてゆくのであるから、幌馬車はお互い助け合いながら進むよりほかに無かったであろうし、家族が協力することも必要であった。 女性も子供を生み育てることだけでなく、労働力としても重要な役割を果たしてきている。 そのような助け合いの重要性が認識され、地域の仕組みが形作られパイオニア精神を持った人々が、助け合うきっかけが芽生えたことは想像に難くない。
しかし、西から東に移動するには当時の交通手段は、幌馬車によるルート、パナマ運河ルートによる移動など、時間的にも経済的にも大きな負担を強いるもので、西海岸に移住するためには経済的基盤が安定した人たちで、中産階級以上が多かった。  
現実に金鉱にたどり着くと一攫千金の山師たちの採掘権や、取れた金の配分などで争いが起こったことも、記録に多く残っている。 金鉱で一攫千金をねらうパイオニア達の生活は、チャレンジとあくなき欲望とそして弱肉強食の世界になっていた。 


しかし、人が多く集まることで経済活動は着実に成長し、それと共に各種のルールも定められてきた。 経済活動の中では、人や物資の輸送のために鉄道が開通した。 
また、そのほかには金鉱採掘用の作業衣としてGパンが発明され金鉱採掘者たちに大いに重宝された。 その後Levisは全米に販売するようになった。 そのほか採掘工具の販売や、クリーニングなどのサービス業は町の繁栄と共にしっかりビジネスとして定着した。 

HangManTree.jpg

金鉱の町に現存する居酒屋
よく見ると、2階の看板は、リンチでつるし首になっている男の姿になっている。店の名は Hangman’s Tree(つるし首の木)

また、このとき見逃してはならないのは、アジア系の移民が多数採掘に従事したことである。 中国系が中心だったが、金鉱周辺だけでなく金の抽出に使われる大量の水銀はSan Jose市のさらに南に鉱山があり、そこでは多数の中国人労働者が、危険な水銀蒸気を吸入しながら採掘に従事していた。 その水銀は金鉱へと続々と運ばれた。このように、東洋人を労働力として利用しながら、金鉱の開発は進められたのである。 20世紀に入ると、採掘コストが外国の金に比べて高くなり、鉱山は閉鎖された。 それまでに、前述の産業のほか、金融や通信などの産業がサンフランシスコを中心に栄えてきた。 いずれもが、当時の富裕層を中心とした人々によって営まれてきた。


 
スタンフォード大学の設立と産業の流れ

i)    Stanford大学設立 
ゴールドラッシュの鉄道ビジネスで成功したLeland Stanfordは後に、欧州で客死した息子を弔う意味で1891年にPalo Altoにあった自分の果樹園を大学に寄付した。 Stanford大学は東の大学とは一線を画し実学を中心として教育研究を行い、20世紀後半のシリコンバレー発展の基礎を築いた。

StanfordHoovertower.jpg
Stanford大学構内風景 


ii)   Hewlett Packard 自分でビジネスを始めるということ
そして、スタンフォード大学ではたーマン教授の指導のもと、HewlettとPackardの2名の卒業生が自分でビジネスを始めることとなった。 自宅のガレージ小屋を利用して音響発信機を組み立てて販売を開始した。 Hewlett Packard社の誕生である。この発信器は、ウオルトディズニーの映画、「ファンタジア」の中で利用された。 1940年のことである。


 HPGARAGE.jpg

Hewlett Packard社の創業ガレージ小屋

HPGARAGEMemorial.jpg

iii  Shockeley半導体研究所 シリコンの語源
その後、新しい産業として半導体が生まれた。 1955年ショックレーの半導体研究所が設立された。 

Shockley02.jpg
            

 Shockley01.jpg

Shockley03.jpg

Shockley 半導体研究所の現在
 391 San Antonio Rd. Mountain View


iv)  Fairchildセミコンダクター 半導体産業の生みの親

そこに集まった才能あふれる人たちによって、フェアチャイルドセミコンダクター社ができた。 当時8人の反乱者とShockleyがそう呼んだ人たち。 時代を変えた人たちだ

Robert Noyce

Gordon Moore

Victor Grinich

Julius Blamk

Eugene Kleiner

Jean Hoerni

Jay Last

Sheldon Roberts

その他にも、Fairchild Chronicleによれば、ICの設計思想から製造技術、応用技術など、それぞれの分野でのTop頭脳が関わって、半導体産業を作り上げてきたことが分かる。

Gil AMelio  

Don Brooks 

Wilf Corrigan 

James Downey 

Federico Faggin

Jack Gifford 

Richard Hodgson 

C. Lester Hogan 

Jim Koford 

John Nichols 

Jerry Sanders 

Harry Sello 

Charlie Sporck 

Robert Ulrickson 

 Fairchild02.jpg

Fairchild03.jpg
              Fairchild Semiconductor社のあった場所
            844 E Charleston Rd. Palo Alto

そしてIntel、AMDへと技術と人が流れてゆく。 この流れの主人公達の源はフェアチャイルド、それゆえ後から技術を引き継いで事業を起こす人たちをフェアチルドレンと呼ぶこともある。

IntelEntrance00.jpg
Intel社正門

INTELBuilding.jpg

Intel社 Robert Noyce Building 

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AMD 本社


v)   Genentech バイオ産業の生みの親 

半導体以外にもシリコンバレーでは新しい産業が起こった。 バイオテクノロジーである。 Genentech社はバイオテクノロジーの新産業を予見したベンチャーキャピタリストが育て上げた世界で初めてのバイオテク会社である。 1976年設立。 これもシリコンバレーのサウスサンフランシスコ市にある。

   GenentechDNA1.jpg

世界初のバイオテク会社
Genentech社本社 (DNA Way 一番地)

GenentechBoyerSwanson.jpg 

Genentech設立を話し合う
投資家スワンソンと研究者コーエン(右)


バイオの世界では、Genentech社でベンチャーを経験した人間はEx-Genentechと呼ばれる。 その人たちが次々と新しいバイオテクノ会社を興してゆく。 このアントレプレナー意識の強い人材の層の厚さと、流動性が高いことが、シリコンバレーの新産業の創出に大きな役割を果たしているといえる。


vi)  Apple 最初のパーソナルコンピュータを市販

シリコンバレーは、1950年代の半導体技術を出発点として、次々と次世代の産業を生み出してきている。 77年にはAppleのPCが発売され、 81年にはIBM PCも発売され、Personal Computerが一挙に普及した。

 DC0001L.jpg

Appleを組み立てたガレージ

Apple02.jpg 
Apple本社

vii) OracleCisco SystemSUN Microsystems Network機器とS/W 

ネットワーク機器とソフトウエアの産業が起こった。

ORACLE.jpg
 
Oracle本社


viii) Netscape Webをビジネスインフラに
そして、90年代に入るとNetscapeによるインターネットブラウザの普及で、ネットワークは飛躍的に拡大した。


ix) Yahoo! eBay Google facebook VMWare Web2.0の開拓者たち

梅田望夫氏が表現した「Webのあちら側」であるWeb2.0の世界が広がった。

 

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Yahoo本社

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Google発祥のガレージ

YahooやeBayなどのインターネットビジネスが花開いていった。 そして、Web2.0と称される、Web上でのオープンな集まりを活用した技術が、広告ビジネスに応用され、シリコンバレーはそこでも、中心的な役割を果たすこととなった。 その参加企業にはGoogleやfacebook, Youtube, Myspaceなど新しいインターネット上のつながりから価値を創造するものや、Wikipediaのように、集合知から作り上げる仕組みを持つものまで、多岐にわたる。

2007年12月29日.jpg

シリコンバレーの技術の流れ
シリコンバレーでは、1950年代後半からは10-15年で中心技術が代替わりしている。
現在は、Web2.0が技術の中心だといえる。


 

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