- 2008-07-27 (日)

この著者が丹念に、栗林中将のゆかりの人たちを探してくれなかったら、この本は世の中に出ることはなかった。 丹念な事実とインタビューの掘り起こしが、戦争の持つ個人の良心に対する「圧殺」を明確にする。 しかし、戦争を仕掛けるもの「大本営」なる仕掛けも、あくまでも人のしわざである。 その結果、実際の運用は個人の都合に合わせてしまうという、矛盾を抱える。 (天皇の名の下の、個人の都合である)
戦争も終局を迎え、日本軍劣勢の元で、本土攻撃を何とか食い止めることをミッションとして、硫黄島は闘われた。 当事者たちは自分たちが生き残れず、負けるとわかっている時の、任務遂行の”自己との戦い”を栗林中将がどう考えていたのか、すごく気になった。 同じところで、オリンピック馬術部門で優勝した西中佐もいるわけである。
栗林中将が語り継がれるのは、戦争という「組織行動」に忠誠を誓って、ほかの人たちを協力体制に導き、最後は「本土への攻撃を防ぐ」ためにさんざん米軍を苦しめ、玉砕したそのロジックと行動である。 食糧弾薬も乏しくなった終戦間際で、兵隊を鼓舞激励しやれることを「身をもって」示した人だから、語り継がれるのである。
それに合わせるDVDが硫黄島からの手紙である。
これを見ていると、戦争というものが個人の「常識」を簡単に覆し、日頃はしてはいけないことをも、やってしまう姿が見て取れる。
私はこのDVDを見て、本だけでは気がつかなかったことが2つある。
ひとつは、日本軍には兵隊いじめがあったということ。(現在の話題である、学校のいじめは、もっと広く民族性とか思考形態とお捉えるべきこと)
もう一つは、日本軍は意外と「規律」が弱い。 この映画にも、上官の命令を無視する将校の話が出てくる。
日本企業の現在の行動を見ていても、社長の指示は必ずしも「部下」が遂行しない。 いろいろ理由をつけて、サボタージュする場面はよくある。
いじめは、部下の意欲を喪失させ、その結果、戦力を低下させる。 出典は定かでないが、日本軍の戦死者のかなりは「背後から撃たれているケース」だという。
部下から撃たれているケースがあるということ。 いじめの問題が、日本の国力の低下に一役買っているのは間違いないと思う。
灼熱の高校野球、オリンピックもよいと思うが、灼熱の元、本土を守った「硫黄島」の話をじっくり読み、考えるのは夏休みのいい課題であろう。
【追記】Amazonからの知らせでは、散るぞ悲しき は文庫になって7/29発売だそうです。 ぜひお読みください。
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